FC2ブログ

プリティ中野の一問入魂

元大学受験ラジオ講座講師プリティ中野が医学部・難関大受験生に贈るエール

安達雄大の受験雑考 その十

1441019920676.jpg
東奔西走神出鬼没キューティ安達雄大先生


 皆さん、焦っていませんか?

 もうすぐ9月です。
 受験生になってから、5カ月が経過ようとしています。
 皆さん、今までお疲れ様でした。
 4月から2月までの10カ月の折り返し地点、「ターニングポイント」でございます。
 ここから先は、「後半戦」です。

 そんなタイミングを見計らって、「今後の勉強の仕方」ということに関して、
 今日はひとつ、アドバイスしておきます。

 この時期になると、「演習」ということの意味を取り違える生徒さんが、急激に増えてきます。
 ――数多くの題材を、スピーディーに処理する――
 ――1日1題! 1週間で7題!――
 ――多いことは、良いことだ――
 「数は力だ」・・・という論理が、他のあらゆる要素を押しだして、前面に出てしまう。
 もちろん僕は、「数は力だ」ということに反対しません。
 ただ、それはその「数」がちゃんと「勉強」になっている・・・という前提に立った上でのことです。

 例えば、「1日1題!」の君。
 君はその「1題」にどのくらいの時間をかけていますか?
 僕が見てきた「1日1題!」君や「1日1題!」さんは、大体平均して「30分」でした。
 今から言う理由から、それはもはや「勉強」ではありません。何かの「作業」です。

~~~~~~~~~~~~~
 ある「1題」を扱う手始めは、その問題を解くことです。
 これで、20~25分はかかります。
 残りは、5分程度です。
 5分でできることと言えば、「答え合わせ」、
 それから、「やった! 高得点!」の実感
 ならびに「ダメだ! とれてない!」の実感・・・この2つだけです。

 ところで、「演習問題を解く」ということの意味は、どこにあるのでしょうか?
 答えは、「問題を解いた過程と、解説の紹介する解答過程との照らし合わせ」です。
 正解していたところで、自分のプロセスが解説のプロセスとズレズレなら、
 大いに解答プロセスを反省すべきですし、
 不正解であっても、正解するためのプロセスを確認し、
 「そういうことだったのか!」が見えれば、それは立派な「成果」です。

 さて・・・先ほどの「1題30分」君、「1題30分」さんは、
 そういう時間を一切とっていません。
 問題を解いて・・・答え合わせをして・・・オシマイ・・・。
 でも、「解答」&「答え合わせ」は、あくまで「準備」です。
 喩えて言うなら、彼らがやっているのは「毎日々々繰り返す準備体操」。
 残るのは、「たくさんやった!」感、それだけです。
~~~~~~~~~~~~~

 以上、「1日1題30分」という発想がいかにナンセンスであるか、指摘できたと思います。
 ちなみに、この発想の弊害は「ナンセンス」にとどまりません。
 本来なら「勉強」できたはずの時間が「タダの何かの作業」に喰われています。
 「やってきた」という実感だけはあるから、模試の結果が(当然ながら)ともなってこなかった場合、
 「作業」さえしてこなかった子に比べて遥かに強いショックを受けます。
 「自分のやってきたことは、何だったんだぁっ!」・・・という思いです。

 というわけで、皆さん、
 題数を減らしてください。
 題数を半分に減らし、「2日で1題60分」にしてください。
 ・・・いや、もっとですね。「3日で1題90分」にしてください。
 1題から一切合財の「成果」を引き出したければ、そのくらい必要です。

 でも、「30分」スタイルの子の気持ちは、分かるには分かるんだなぁ~。
 4月当初、基礎さえ、暗記事項の習得さえ、していなかった。
 だから、問題に対して何もできなかった。
 一生懸命、ムダに思える基礎修練、暗記を繰り返した。
 時間がかかるワリに、成果のイマイチ見えない、イライラする、もどかしい日々を過ごした。

 そんなある日、問題を解く際に何かの「成果」を得た。
 それがすごく嬉しかった。「上昇」感があった。
 その気持ちは分かりますし、その気持ちは何にも代えがたい大事なものです。

 でも・・・、いや「上昇」感があったからこそ、もっと「上昇」したくなった。
 イマイチ成果の見えない、ゆっくりした、もどかしい作業よりも、
 あの時の「上昇」感が再来するような作業の方が、自分を前に進めてくれる。
 だから、「演習」以外のものが見えなくなった。
 正確には、「素早く演習量をこなせる自分」以外のものが見えなくなった。
 「短時間の中で、なるべく多くの数を・・・」という発想は、こうして9月くらいに形成されます。

 でも、残念ながら「成果」というものは、その演習題材にジックリ時間をかけて、
 そこから引き出せるものを全て引き出すことによって、やっと得られるものなんです。
 そう・・・、イマイチ成果の見えない、ゆっくりした、もどかしい「あの頃の作業」の方が、正しかったんですよ。

 というわけで、みなさん、
 もう一度「あの頃の作業」に戻りませんか?
 「こんなに時間かけたのに、1ページしかできなかった・・・」
 そんな日々に、戻りませんか?
 「勉強」とは、もどかしいものだったんです。
 前に進まないものだったんです。
 前に進まないように作業をしていくことが、
 君を前に進めてくれる・・・そういう逆説的なものだったんです。

 夏休みも終わり、いよいよ皆さんに焦りの波がやってくる頃です。
 そういう時期だから、このタイミングでこのような話をさせていただきました。
 そのイライラ感を飲み込んで、ゆっくり、ね?

2015/08/22 記





パッション

セント・メプレスのプリティ中野です。

いつもこのブログを応援していただきまして

ありがとうございます。

このすぐ下の大学受験(指導・勉強法)と書いてある

白いボタンにポチっとワン・クリックしていただけると

とても嬉しいです!


にほんブログ村 受験ブログ 大学受験(指導・勉強法)へ
にほんブログ村  




St.メプレスのホームページ

1422580433222.png


プリティ中野の書評 山本兼一著『信長死すべし』

山本兼一は僕の同志社文学研究会時代の仲間である。
今年の2月13日、僕の誕生日に彼は肺がんで他界した。
最後の原稿を中央公論の編集者に送稿した5時間半後に息を引き取ったのだった。
彼は骨太の歴史小説をいくつも遺していった。
まだ生き残っている僕は彼の作品を語り続けたい。
セント・メプレス発足時に推薦文を書いてくれた恩義に応えるためにも。


歴史上の事実を透視して

隠れているその真実を虚構の中に抉り出すという

歴史文学の生命線が骨太に貫かれている力作である。

本能寺の変の要因には諸説あるが、光秀が信長を討ったという事実は動かない。

ならば光秀の心の天秤を主君弑逆に傾けさせたベクトルが

単一であれ、複数ベクトルの合力であれ

普遍の人間性をキャンバスにしつつ山本の雄渾の筆致で本能寺が描かれれば、

読者は自ずと、光秀は言うに及ばず、信長や帝

さらには近衛前久を始めとする公卿と交感するのである。

時間と空間を超越する地下茎で繋がれた端末が個々の人間とするなら

マザーコンピュータが奈辺にあるのか。

その所在を垣間見せる力量こそが作家の力量であり

その意味で山本兼一は最もマザーコンピュータに肉薄した端末なのであろう。

― 光秀の魂は、そのまま深い闇の奈落に落ちていった。

最終章『無明』のエンディングである。

無明のカオスの中で人間は蠢き

その蠢きの一つひとつを糸として

壮大な人間の歴史が紡がれていく。

事件から430年が経過した今

山本兼一が創出する本能寺の変と交感し

描かれる無明の中に自分自身の座標を求めることができるなら

歴史小説読者として、至福の悦びとなるだろう。

その悦びを共有する一人として

まだ手にしておられない全ての方に本作を薦めるものである。


120720_1051~01

山本兼一からいただいた推薦文

中野俊一氏は、わたしの同志社大学時代の先輩である。
わたしと中野氏は大学の文学研究会に所属していた。
わたしが二年になったとき中野氏は、その会の会長になった。
文学研究会は、学術団体でありながら、無頼を気取る輩が多かった。
そんななかにあって、中野氏はめずらしく情熱と責任感にあふれた人材であった。
だからこそ、自尊心の高い会員たちから請われて会長に就任したのである。
そんな中野氏がこのたび新しく塾を開くという。
その名はセント・メプレス。
中野氏が開く塾ならば、さぞや熱気にあふれ、
塾生は激しく切磋琢磨されることであろう。そう信じてやまない。

yamamoto.jpg
在りし日の山本兼一



あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。

だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい。

                               ~アメリカ・インディアンの言葉



にほんブログ村 受験ブログ 大学受験(指導・勉強法)へ
にほんブログ村  あなたのワン・クリックが私の元気の源です!よろしくお願いします。

医学部受験生に贈る!
未来の医師養成講座
愛知医科大学理事長三宅養三先生からご推薦をいただきました。


講師:吉田統彦(つねひこ)先生




東海高校を経て名古屋大学医学部、同大学院卒業。
米国ジョンズ・ホプキンス大学ウィルマー・アイ・インスティテュートにて勤務。
眼科医。医学博士。愛知医科大学医学部客員教授。昭和大学医学部客員教授。
名古屋大学医学部非常勤講師。名古屋医療センター非常勤医師。前衆議院議員。

講義内容/日米の医療の比較を通じて、現代日本の医療問題を、毎回テーマを変えながら鋭くえぐりだし、医師をめざす受験生の使命感を、インテリジェントにそしてパッショネートに鼓舞します。このコースはまた医学部入試の面接試験での発言能力や小論文の背景知識を涵養することにも力を注ぎます。

2015年全9回コース
(4月~12月につき毎月1回/すべて月曜日20:30~21:50)

クリック⇒吉田統彦先生の未来の医師養成講座
  1. 2015/09/02(水) 00:00:01|
  2. 安達雄大
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

安達雄大の受験雑考 その九

adatitti.jpg
国語・小論文の安達雄大先生


単刀直入に、言う。
『絶歌』の出版・販売に、僕、安達雄大は徹底的に反対だ。
正確には、もう出版してしまった以上、
『絶歌』を世に出した太田出版の欺瞞と思慮のなさは、どこまでも糾弾されてしかるべきだ。


遺族への配慮を欠く・・・とか、
営利目的で「出版」という形をとったことへの説明不足とか、
もう各種コメンテーターの方々から言われていることには、全面的に同意。
それに加えて、もう二つ言わせてほしい。


一つ目。
そもそもなぜタイトルが文学志向・芸術志向なのかが、分からない。
何が「歌」だ。
「犯罪者」が、たちまち「作家」に・・・最悪の場合「芸術家」に変身してしまう。
ただの「いち犯罪者の反省文」を、『絶歌』なんていうタイトルで装飾してしまう。
そういう「色付け」に、太田出版の欺瞞が滲み出てしまっている。
本当に「純然たる社会的な価値」とか言うのなら、
『絶歌』なんていう、いかにも「売れそうな名前」ではなく、
一切の着色を取っ払い、「神戸事件の犯人の手記」にしなさいよ。



でも、以上のような事柄は、
今から申し上げる理由に比べれば、まぁ大した問題じゃない。
(以上のことだけでも十分に出版・販売停止に値すると思うには思うが・・・)

二つ目。
僕が『絶歌』の存在を否定する最大の理由は、
「どうせ大したことは書かれていないから」です。
今までになかった、括目に値するような新事実が、そこに書かれているとは思えないからです。

事件の残虐性、非人間性のあまりに、
「そこには何か特別な心理や経緯や生い立ちや世界観があるはずだ」と思い込むのは勝手だが、
罪を犯した理由なんて、そうそう簡単に説明つくのか?
例えばだけれど、
日常において、「殺意」に近い怒りや不満を覚えたことのない人間って、いるんだろうか?
突発的に相手に対して害意を抱いた・・・
日ごろから社会や家族に不満があり、ストレスを発散したかった・・・
そういう、人間だったら誰でも抱きそうな「殺意予備軍」的な感情が、
イロイロな条件をクリアしてしまい、
犯行という形で実現できてしまった。
そういう、「誰にでも起こりうること」が偶然生じただけのこと。
そんなものに、太田出版のどなたかがおっしゃるような、「社会的に特別な価値」はない。
絶対に、ない。
その程度のものを、「社会的な価値」というウソで取り繕っている、
その欺瞞が、気持ち悪い。

人は誰でも、「彼」になりうる。
「彼」のことを「自分ではない誰か」だと思い込んでいる人の方が、
「彼」よりもよっぽど怖い。
でも、今回の出版は、そういう人の存在さえ覆い隠してしまう。
『絶歌』にこびりついている「演出」のせいで、
そこに書かれているのは、「自分ではない誰か」の話になってしまうから。
自分自身には無関係な、「非日常的な絵空事」になってしまうから。


というわけで、
『絶歌』には、今までにいくらでもあったような犯罪者心理が書き連ねられているだけだから、
買っても、損ですよ?
誰でもいだきそうな感情をたまたま実現しちゃった人間の、誰でも抱きそうな感情が、
誇張され、着色され、活字として延々とダラダラ並んでいる、
そんなものが、誰かの手によって編集されて、
そして、おそらくそこでもまた「演出」されて、
皆さんのお手元に「商品」として、届くだけです。
買っても、損ですよ?
サイコパス的な心理を描写したミステリーはいくらでも出ているから、
そっちをお読みになることを、オススメします。


買われた方、読まれた方、
もし仮に、『絶歌』の中に「高邁な思想」「犯罪者心理の深淵」みたいなものが発見できたのなら、
僕の間違いです。その場合を想定して、お詫びしておきます。

でも、このお詫びは無効だろうなぁ・・・。いや、失礼。何でもないです。



2015/06/22  安達雄大 記





パッション

セント・メプレスのプリティ中野です。

いつもこのブログを応援していただきまして

ありがとうございます。

このすぐ下の大学受験(指導・勉強法)と書いてある

白いボタンにポチっとワン・クリックしていただけると

とても嬉しいです!


にほんブログ村 受験ブログ 大学受験(指導・勉強法)へ
にほんブログ村  





St.メプレスのホームページ

1422580433222.png


プリティ中野の書評 山本兼一著『信長死すべし』

山本兼一は僕の同志社文学研究会時代の仲間である。
今年の2月13日、僕の誕生日に彼は肺がんで他界した。
最後の原稿を中央公論の編集者に送稿した5時間半後に息を引き取ったのだった。
彼は骨太の歴史小説をいくつも遺していった。
まだ生き残っている僕は彼の作品を語り続けたい。
セント・メプレス発足時に推薦文を書いてくれた恩義に応えるためにも。


歴史上の事実を透視して

隠れているその真実を虚構の中に抉り出すという

歴史文学の生命線が骨太に貫かれている力作である。

本能寺の変の要因には諸説あるが、光秀が信長を討ったという事実は動かない。

ならば光秀の心の天秤を主君弑逆に傾けさせたベクトルが

単一であれ、複数ベクトルの合力であれ

普遍の人間性をキャンバスにしつつ山本の雄渾の筆致で本能寺が描かれれば、

読者は自ずと、光秀は言うに及ばず、信長や帝

さらには近衛前久を始めとする公卿と交感するのである。

時間と空間を超越する地下茎で繋がれた端末が個々の人間とするなら

マザーコンピュータが奈辺にあるのか。

その所在を垣間見せる力量こそが作家の力量であり

その意味で山本兼一は最もマザーコンピュータに肉薄した端末なのであろう。

― 光秀の魂は、そのまま深い闇の奈落に落ちていった。

最終章『無明』のエンディングである。

無明のカオスの中で人間は蠢き

その蠢きの一つひとつを糸として

壮大な人間の歴史が紡がれていく。

事件から430年が経過した今

山本兼一が創出する本能寺の変と交感し

描かれる無明の中に自分自身の座標を求めることができるなら

歴史小説読者として、至福の悦びとなるだろう。

その悦びを共有する一人として

まだ手にしておられない全ての方に本作を薦めるものである。


120720_1051~01

山本兼一からいただいた推薦文

中野俊一氏は、わたしの同志社大学時代の先輩である。
わたしと中野氏は大学の文学研究会に所属していた。
わたしが二年になったとき中野氏は、その会の会長になった。
文学研究会は、学術団体でありながら、無頼を気取る輩が多かった。
そんななかにあって、中野氏はめずらしく情熱と責任感にあふれた人材であった。
だからこそ、自尊心の高い会員たちから請われて会長に就任したのである。
そんな中野氏がこのたび新しく塾を開くという。
その名はセント・メプレス。
中野氏が開く塾ならば、さぞや熱気にあふれ、
塾生は激しく切磋琢磨されることであろう。そう信じてやまない。

yamamoto.jpg
在りし日の山本兼一



あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。

だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい。

                               ~アメリカ・インディアンの言葉



にほんブログ村 受験ブログ 大学受験(指導・勉強法)へ
にほんブログ村  あなたのワン・クリックが私の元気の源です!よろしくお願いします。

医学部受験生に贈る!
未来の医師養成講座
愛知医科大学理事長三宅養三先生からご推薦をいただきました。


講師:吉田統彦(つねひこ)先生




東海高校を経て名古屋大学医学部、同大学院卒業。
米国ジョンズ・ホプキンス大学ウィルマー・アイ・インスティテュートにて勤務。
眼科医。医学博士。愛知医科大学医学部客員教授。昭和大学医学部客員教授。
名古屋大学医学部非常勤講師。名古屋医療センター非常勤医師。前衆議院議員。

講義内容/日米の医療の比較を通じて、現代日本の医療問題を、毎回テーマを変えながら鋭くえぐりだし、医師をめざす受験生の使命感を、インテリジェントにそしてパッショネートに鼓舞します。このコースはまた医学部入試の面接試験での発言能力や小論文の背景知識を涵養することにも力を注ぎます。

2015年全9回コース
(4月~12月につき毎月1回/すべて月曜日20:30~21:50)

クリック⇒吉田統彦先生の未来の医師養成講座
  1. 2015/07/02(木) 00:00:01|
  2. 安達雄大
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

安達雄大の受験雑考 その九


こんにちは、国語&小論文の安達雄大です。

6月末までにかけて、次々に「締め切り」がやってくる・・・。
溜まりに溜まった仕事たち・・・。

まず、国語の問題作成が、大問4つ分。これが一番時間かかるな・・・。
次いで、大学の問題に解答をつける原稿が4本。封筒さえ開けてねぇ・・・。
加えて、授業の形を考える会議のプレゼン資料作成が2本。
アイデアはあるんだけれど、形にはしていない。
・・・でも、「形にしてない」ということは、「着手していない」と同義だね・・・。
要するに、「手付かず」か「ほぼ手つかず」の原稿関連が10本、ということ。
この締め切りが、波状攻撃的に6月末まで続く。

上の原稿系と同時進行で、授業や会議が週に最低20。
ちなみに、先週は25。
1日平均、3~3.5個の授業や会議があることになりますな。
予習・準備が追いつかねぇ・・・。
おまけに、つい先日、ぎっくり腰をやらかしました。
歩行困難・・・歩行困難・・・。(授業中は、ずっと立ってるからね・・・。)

新幹線や電車の中は、もはや「移動の場」ではなく「仕事の場」です。
ノートパソコンの充電器、持ち歩いています。
打ち込みすぎて帰宅までに充電切れるから。
ちなみに、今帰宅中。電池は、残り25%。
原稿の束が多すぎてカバンに入らないので、
サブカバンを持ち歩いております。
もはや「紙・運搬業」も兼業している気分。

 「・・・え? 自慢ブログ?」って思った人へ。
ああそうさ、もうそう捉えてもらっていいさ。
もうそんなことさえ、どーでもいー。
だいぶキてますね、もう・・・。

僕に自虐趣味はなかったはずなんだが・・・。
サボっていたわけじゃない。
ちゃんとやるべきことはやってました。
ええ、やっていましたとも。
悪いのは、この口。
「はい! 喜んで承ります!」と言ってしまう、この口でございます。
分かってるさ・・・。そんなことは分かってるさ・・・。
 
夏休み以降のスローガンは、
「断る勇気!」「ノーと言える自分!」・・・そんな感じになりそうです。


 受験生のみなさん、
 そんな状況で、今僕は頑張っています。
 みなさんも頑張ってください。

 6月11日 記

1434198686271.jpg
キューティ安達とプリティ中野



パッション

セント・メプレスのプリティ中野です。

いつもこのブログを応援していただきまして

ありがとうございます。

このすぐ下の大学受験(指導・勉強法)と書いてある

白いボタンにポチっとワン・クリックしていただけると

とても嬉しいです!


にほんブログ村 受験ブログ 大学受験(指導・勉強法)へ
にほんブログ村  




St.メプレスのホームページ

1422580433222.png


プリティ中野の書評 山本兼一著『信長死すべし』

山本兼一は僕の同志社文学研究会時代の仲間である。
今年の2月13日、僕の誕生日に彼は肺がんで他界した。
最後の原稿を中央公論の編集者に送稿した5時間半後に息を引き取ったのだった。
彼は骨太の歴史小説をいくつも遺していった。
まだ生き残っている僕は彼の作品を語り続けたい。
セント・メプレス発足時に推薦文を書いてくれた恩義に応えるためにも。


歴史上の事実を透視して

隠れているその真実を虚構の中に抉り出すという

歴史文学の生命線が骨太に貫かれている力作である。

本能寺の変の要因には諸説あるが、光秀が信長を討ったという事実は動かない。

ならば光秀の心の天秤を主君弑逆に傾けさせたベクトルが

単一であれ、複数ベクトルの合力であれ

普遍の人間性をキャンバスにしつつ山本の雄渾の筆致で本能寺が描かれれば、

読者は自ずと、光秀は言うに及ばず、信長や帝

さらには近衛前久を始めとする公卿と交感するのである。

時間と空間を超越する地下茎で繋がれた端末が個々の人間とするなら

マザーコンピュータが奈辺にあるのか。

その所在を垣間見せる力量こそが作家の力量であり

その意味で山本兼一は最もマザーコンピュータに肉薄した端末なのであろう。

― 光秀の魂は、そのまま深い闇の奈落に落ちていった。

最終章『無明』のエンディングである。

無明のカオスの中で人間は蠢き

その蠢きの一つひとつを糸として

壮大な人間の歴史が紡がれていく。

事件から430年が経過した今

山本兼一が創出する本能寺の変と交感し

描かれる無明の中に自分自身の座標を求めることができるなら

歴史小説読者として、至福の悦びとなるだろう。

その悦びを共有する一人として

まだ手にしておられない全ての方に本作を薦めるものである。


120720_1051~01

山本兼一からいただいた推薦文

中野俊一氏は、わたしの同志社大学時代の先輩である。
わたしと中野氏は大学の文学研究会に所属していた。
わたしが二年になったとき中野氏は、その会の会長になった。
文学研究会は、学術団体でありながら、無頼を気取る輩が多かった。
そんななかにあって、中野氏はめずらしく情熱と責任感にあふれた人材であった。
だからこそ、自尊心の高い会員たちから請われて会長に就任したのである。
そんな中野氏がこのたび新しく塾を開くという。
その名はセント・メプレス。
中野氏が開く塾ならば、さぞや熱気にあふれ、
塾生は激しく切磋琢磨されることであろう。そう信じてやまない。

yamamoto.jpg
在りし日の山本兼一



あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。

だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい。

                               ~アメリカ・インディアンの言葉



にほんブログ村 受験ブログ 大学受験(指導・勉強法)へ
にほんブログ村  あなたのワン・クリックが私の元気の源です!よろしくお願いします。

医学部受験生に贈る!
未来の医師養成講座
愛知医科大学理事長三宅養三先生からご推薦をいただきました。


講師:吉田統彦(つねひこ)先生




東海高校を経て名古屋大学医学部、同大学院卒業。
米国ジョンズ・ホプキンス大学ウィルマー・アイ・インスティテュートにて勤務。
眼科医。医学博士。愛知医科大学医学部客員教授。昭和大学医学部客員教授。
名古屋大学医学部非常勤講師。名古屋医療センター非常勤医師。前衆議院議員。

講義内容/日米の医療の比較を通じて、現代日本の医療問題を、毎回テーマを変えながら鋭くえぐりだし、医師をめざす受験生の使命感を、インテリジェントにそしてパッショネートに鼓舞します。このコースはまた医学部入試の面接試験での発言能力や小論文の背景知識を涵養することにも力を注ぎます。

2015年全9回コース
(4月~12月につき毎月1回/すべて月曜日20:30~21:50)

クリック⇒吉田統彦先生の未来の医師養成講座
  1. 2015/06/18(木) 00:00:01|
  2. 安達雄大
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

安達雄大の受験雑考 その八

中野プリティ

セント・メプレスのプリティ中野です。

いつもこのブログを応援していただきまして

ありがとうございます。

このすぐ下の大学受験(指導・勉強法)と書いてある

白いボタンにポチっとワン・クリックしていただけると

とても嬉しいです!


にほんブログ村 受験ブログ 大学受験(指導・勉強法)へ
にほんブログ村  

「最近の若者は、本を読まないからダメだ。」
「活字離れが若者の思考能力を低下させる。」
「映像ばかり見ているから、想像力が低下する。」

こんな言説を声高に叫ぶ方々に、
偶然にも立て続けにお会いしたので、
正直言って萎えているところ。
さすがにもう下火になっていただろうと思っていた幻想が、
いまだに元気で、あまつさえ若者に影響を与えているのを見て、愕然とした。
 
というわけで、あちらこちらで再三言われているものに僕なりの見解も交えつつ、
「活字信仰」がいかに「幻想」であるかを、あらためて書いておく。

第一に、「世代の一般化」だ。
「最近の若者は・・・」という言説には、
「我々の世代(年配世代・・・とでも呼べるか?)は、活字を読んできた」という前提がある。
そういう言い方をする人には、
「活字を読む/読まない」が「個人」を単位とした話であるという発想が、欠落している。

「あなたの世代」が活字を読んでいたのではない。
「あなた」が活字を読んでいたのだ。
「あなた」の同い年がみんな活字に親しんでいたというのは、幻想だ。

また、「最近の若者」が活字を読んでいないのではない。
あなたの前に現れた「その若者」が読んでいないだけだ。
「その若者」と同じ年齢層の全員が活字に無関心なわけではないし、
だいいちそんな一般化ができるわけがない。

僕が見ている生徒さんの中には、ガツガツ活字を楽しんでいる子はたくさんいる。
読む子は、ちゃんと読んでいる。
僕よりも読んでいる(・・・あ、僕が読んでいないだけか・・・)。

なお、後で述べるように、
今言った「活字を読んでいない」という勘違いは
「活字を読んでいない者は愚かだ」という勘違いとは切り離して考えてほしい。
ここには二重の勘違いがある・・・そう僕は思っている。

第二に、「メディアの多様化の無視」。
かつては、活字しかなかった。
だから、活字への態度は「読む」「読まない」の二択だった。

次に、テレビが普及した。
それからは、活字への態度は「読む」「読まない」「映像で活字の代替をする」の三択になった。
「活字信仰」に浸っている人が攻撃の対象にするのは、「映像で活字の代替をする」人たちだ。

ところが、時代は更に別の段階に移ってもう久しい。
インターネットの普及により、人がものを受容する際のメディアの種類も多様化した。
それとは別のところで、マンガが市民権を得てきた。
映像技術の高度化によって、映画が前に出てきた。
映画に馴染めない人たちが、
映画とマンガの延長線上でアニメの形式を整えつつあるのが現在だ。

こうなってくると、「活字に親しんでいる」ということの重要性も、
その意味自体も、メディアの多様化以前と以降で大きく変わる・・・
そう言わざるをえないはずだ。

「活字」が「中心」、「映像」が「周縁」・・・そんな「活字中心主義」も、
「活字・オア・テレビ」という時代には有効だったかもしれないが、
同じ論理を現代にはあてはめることはもうできない。
多様化以前の「活字を読む/読まない」と多様化以降の「読む/読まない」とでは、
同じ次元で云々できる話ではない。
だから、「最近の若者は本を読まない」と嘆く人を見ると、
いつも心の中で、「だからなんだ?」と思ってしまう。

安達雄大1
だから何なんだ?

第三に「活字絶対の発想」だ。
「活字であること」自体が「善」として固定されているから、
「活字でないこと」がもはやそれだけで「意味のないもの」に括られている。
「若者が活字を読まない」と勘違いしているのに加えて、
「活字じゃないものは次元が低い/意味がない」とも勘違いしているので、
おのずとその人の頭の中では、「活字を読まない者は愚かだ」という言説が演繹される。
典型的な「若者」なるものへの偏見だ。

「マンガは活字より低次元」という発想は、
マンガ世代に属さない人たちに特有の幻想でしかないと思う。
『デス・ノート』よりもアッサリ読めちゃう小説はたくさんあるし、
一色登希彦の『日本沈没』より低次元な活字なんて数え切れないほどある
(・・・と、僕の大好きなマンガをそれとなく紹介しておく)。

最近、奇跡的にできた仕事の隙間を利用して、
ずっと見られないままにしてあったガンダムのOVAを見た。
泣けて泣けて・・・もう号泣だった。
号泣しすぎて、粘膜が傷ついて鼻血が出た。
おそらく、漱石を読んでも鼻血は出ないと思う。
少なくとも、漱石で鼻血が出たとしても、
それはガンダムの時と同じ種類の鼻血ではないと思う。

「映像が想像力を奪う」もウソ。
映像や音声で味わったものが、
徐々に徐々に蓄積され、ある事柄についてのイメージの母体になる。
映像や音声は想像・イメージの「語彙」になる。
それを一切持たない人間の想像は、
理論上はどこまで行っても想像・イメージではなく「概念」だ。

ついでに言うと、「若者が活字を読まないから学力が下がった」というのはもう完全なウソだ。
「若者がオバカになった」のは、
「活字離れ」のせいではなく「若者」が通う大学の構造がおかしくなったせいだ。

 ・・・とまぁ、「本」「活字」しか見えない人々について、
思うこと感じることをぶつけました。
ちなみに僕は、活字は大好きです。
この事実は、ここに書いてきたこととは矛盾しないと思います。
要するに、面白いものはメディアを問わず好きなので、
活字主義者に違和感を抱いている・・・ただそれだけです。

安達雄大  2015年04月27日 記






St.メプレスのホームページ

1422580433222.png


プリティ中野の書評 山本兼一著『信長死すべし』

山本兼一は僕の同志社文学研究会時代の仲間である。
今年の2月13日、僕の誕生日に彼は肺がんで他界した。
最後の原稿を中央公論の編集者に送稿した5時間半後に息を引き取ったのだった。
彼は骨太の歴史小説をいくつも遺していった。
まだ生き残っている僕は彼の作品を語り続けたい。
セント・メプレス発足時に推薦文を書いてくれた恩義に応えるためにも。


歴史上の事実を透視して

隠れているその真実を虚構の中に抉り出すという

歴史文学の生命線が骨太に貫かれている力作である。

本能寺の変の要因には諸説あるが、光秀が信長を討ったという事実は動かない。

ならば光秀の心の天秤を主君弑逆に傾けさせたベクトルが

単一であれ、複数ベクトルの合力であれ

普遍の人間性をキャンバスにしつつ山本の雄渾の筆致で本能寺が描かれれば、

読者は自ずと、光秀は言うに及ばず、信長や帝

さらには近衛前久を始めとする公卿と交感するのである。

時間と空間を超越する地下茎で繋がれた端末が個々の人間とするなら

マザーコンピュータが奈辺にあるのか。

その所在を垣間見せる力量こそが作家の力量であり

その意味で山本兼一は最もマザーコンピュータに肉薄した端末なのであろう。

― 光秀の魂は、そのまま深い闇の奈落に落ちていった。

最終章『無明』のエンディングである。

無明のカオスの中で人間は蠢き

その蠢きの一つひとつを糸として

壮大な人間の歴史が紡がれていく。

事件から430年が経過した今

山本兼一が創出する本能寺の変と交感し

描かれる無明の中に自分自身の座標を求めることができるなら

歴史小説読者として、至福の悦びとなるだろう。

その悦びを共有する一人として

まだ手にしておられない全ての方に本作を薦めるものである。


120720_1051~01

山本兼一からいただいた推薦文

中野俊一氏は、わたしの同志社大学時代の先輩である。
わたしと中野氏は大学の文学研究会に所属していた。
わたしが二年になったとき中野氏は、その会の会長になった。
文学研究会は、学術団体でありながら、無頼を気取る輩が多かった。
そんななかにあって、中野氏はめずらしく情熱と責任感にあふれた人材であった。
だからこそ、自尊心の高い会員たちから請われて会長に就任したのである。
そんな中野氏がこのたび新しく塾を開くという。
その名はセント・メプレス。
中野氏が開く塾ならば、さぞや熱気にあふれ、
塾生は激しく切磋琢磨されることであろう。そう信じてやまない。

yamamoto.jpg
在りし日の山本兼一



あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。

だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい。

                               ~アメリカ・インディアンの言葉



にほんブログ村 受験ブログ 大学受験(指導・勉強法)へ
にほんブログ村  あなたのワン・クリックが私の元気の源です!よろしくお願いします。

医学部受験生に贈る!
未来の医師養成講座
愛知医科大学理事長三宅養三先生からご推薦をいただきました。


講師:吉田統彦(つねひこ)先生




東海高校を経て名古屋大学医学部、同大学院卒業。
米国ジョンズ・ホプキンス大学ウィルマー・アイ・インスティテュートにて勤務。
眼科医。医学博士。愛知医科大学医学部客員教授。昭和大学医学部客員教授。
名古屋大学医学部非常勤講師。名古屋医療センター非常勤医師。前衆議院議員。

講義内容/日米の医療の比較を通じて、現代日本の医療問題を、毎回テーマを変えながら鋭くえぐりだし、医師をめざす受験生の使命感を、インテリジェントにそしてパッショネートに鼓舞します。このコースはまた医学部入試の面接試験での発言能力や小論文の背景知識を涵養することにも力を注ぎます。

2015年全9回コース
(4月~12月につき毎月1回/すべて月曜日20:30~21:50)

クリック⇒吉田統彦先生の未来の医師養成講座
  1. 2015/05/09(土) 00:00:01|
  2. 安達雄大
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

安達雄大の受験雑考 その七

1416621911979 - コピー

セント・メプレスのプリティ中野です。

いつもこのブログを応援していただきまして

ありがとうございます。

このすぐ下の大学受験(指導・勉強法)と書いてある

白いボタンにポチっとワン・クリックしていただけると

とても嬉しいです!


にほんブログ村 受験ブログ 大学受験(指導・勉強法)へ
にほんブログ村  


1416627837077.jpg
国語・小論文担当の安達雄大です。

「現代文では、段落ごとに要約するんだよ」
・・・という教え方を、よく聞きます。

まったくもって、その通りだと思います。
要約・・・これはモノが読めたかどうかの決定的なキメ手になる作業ですから、
モノを読んでいる間はずっと意識し続けてほしいことです。

「要約できている」ということは「読めている」ことだ・・・とまで言ってもいいかもしれませんね。
そして、要約の単位の一つの目安ということを考えるなら、
「形式段落ごとに・・・」という発想はさしあたりはかなり有効だと思います。
筆者は「形式段落ごとに」話をしている傾向が強いですから。

では、「形式段落ごとに」要約をしていけば文章が読めたことになるのか?
いつだってそう言っていいか?
・・・と考えた途端に、いろいろな問題が出てきてしまいます。

まずひとつ。
「形式段落ごとに」話をしていないる筆者は、たくさんいます。
あるいは、「形式段落」を自らの語りのリズムに即してものすごく恣意的に使っている筆者がいます。
どのみち、「意味の変わり目で形式段落が変わる」という想定が
全く意味を持たないような文章がとてもたくさんあります。
形式段落を変えたのに、話は変わっていない・・・という筆者。 
あるいは、形式段落を変えていないのに、話を途中で変える・・・という筆者。
そういう人は、たくさんいます。

ところで、形式段落が変わっても、
話は変わらない文章を、「形式段落ごとに」読んだら、どうなりますか?
結果としては、同じ要約を何度も繰り返すという「ムダ」を生むことになります。
現代文で制限時間に苦しむ君たちにとって、そういう「ムダ」は省きたいところでしょう。
形式段落が変わっていないのに、
話は変わっているという文章を「形式段落ごとに」読んだら、どうなりますか?
結果は、ムダを通り越して「読解失敗」です。
形式段落内に二つの事柄があったのに、
それをひとつとして捉えてしまった時点で、
捉えるべき情報を逃したことになります。

もうひとつ。
仮に、筆者は「形式段落ごとに」話をしていますが、
文章全体として見るなら、筆者は「形式段落の」話をしているとは言えません。
筆者は「文章」全体で一つのメッセージを放っているのであって、
「形式段落」は「文章」という全体の構成要素なんですね。

つまり、「形式段落」が変わるたびにメッセージそのものを変えているわけではありません。
「形式段落」の移り変わるたびに変わっているのは、
一つの全体としての議論の、段階であって、
メッセージそのものではない・・・と言えばいいでしょうか。
・・・ということは、「形式段落」ごとに要約することを心がけつつ、
「ひとつの全体的主張」に向けて、
「形式段落」間のつながりもまた考えなければいけないわけです。

ところが、「ごとに」が強すぎると、
この「間で」という意識が抜け落ちてしまい、
ただ脈絡もない要約の断片が、
形式段落の数だけ浮遊している・・・そんな読解になってしまうわけです。
段落と段落との間のつながりも、同時に大事にしてください。

形式段落を超えたつながり。
そして、形式段落内での切れ目。
こうしたことも、僕らが大事にしなければいけないわけです。
おそらくは、そういう段になると、
「形式段落」ではない「意味段落」という発想が大事になります。
意味段落は、目に見えないものですから、自分で見つけなければいけません。
意味段落を捉えるということについては、いろいろな構え方がありますので、
お読みになっている君たち自身で、いろいろ模索してください。
君たちの先生が、それぞれにヒントをくれると思います。

ともあれ、ここで言いたかったことは、「形式段落ごとの要約は絶対大事。
でも、そればかりにとらわれると、ムダしたり読み逃したりするよ~?」ということです。
では、今日はこの辺で。

2015年02月21日 記






St.メプレスのホームページ

1422580433222.png





プリティ中野の書評 山本兼一著『信長死すべし』

山本兼一は僕の同志社文学研究会時代の仲間である。
今年の2月13日、僕の誕生日に彼は肺がんで他界した。
最後の原稿を中央公論の編集者に送稿した5時間半後に息を引き取ったのだった。
彼は骨太の歴史小説をいくつも遺していった。
まだ生き残っている僕は彼の作品を語り続けたい。
セント・メプレス発足時に推薦文を書いてくれた恩義に応えるためにも。


歴史上の事実を透視して

隠れているその真実を虚構の中に抉り出すという

歴史文学の生命線が骨太に貫かれている力作である。

本能寺の変の要因には諸説あるが、光秀が信長を討ったという事実は動かない。

ならば光秀の心の天秤を主君弑逆に傾けさせたベクトルが

単一であれ、複数ベクトルの合力であれ

普遍の人間性をキャンバスにしつつ山本の雄渾の筆致で本能寺が描かれれば、

読者は自ずと、光秀は言うに及ばず、信長や帝

さらには近衛前久を始めとする公卿と交感するのである。

時間と空間を超越する地下茎で繋がれた端末が個々の人間とするなら

マザーコンピュータが奈辺にあるのか。

その所在を垣間見せる力量こそが作家の力量であり

その意味で山本兼一は最もマザーコンピュータに肉薄した端末なのであろう。

― 光秀の魂は、そのまま深い闇の奈落に落ちていった。

最終章『無明』のエンディングである。

無明のカオスの中で人間は蠢き

その蠢きの一つひとつを糸として

壮大な人間の歴史が紡がれていく。

事件から430年が経過した今

山本兼一が創出する本能寺の変と交感し

描かれる無明の中に自分自身の座標を求めることができるなら

歴史小説読者として、至福の悦びとなるだろう。

その悦びを共有する一人として

まだ手にしておられない全ての方に本作を薦めるものである。


120720_1051~01

山本兼一からいただいた推薦文

中野俊一氏は、わたしの同志社大学時代の先輩である。
わたしと中野氏は大学の文学研究会に所属していた。
わたしが二年になったとき中野氏は、その会の会長になった。
文学研究会は、学術団体でありながら、無頼を気取る輩が多かった。
そんななかにあって、中野氏はめずらしく情熱と責任感にあふれた人材であった。
だからこそ、自尊心の高い会員たちから請われて会長に就任したのである。
そんな中野氏がこのたび新しく塾を開くという。
その名はセント・メプレス。
中野氏が開く塾ならば、さぞや熱気にあふれ、
塾生は激しく切磋琢磨されることであろう。そう信じてやまない。

yamamoto.jpg
在りし日の山本兼一



あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。

だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生をおくりなさい。

                               ~アメリカ・インディアンの言葉



にほんブログ村 受験ブログ 大学受験(指導・勉強法)へ
にほんブログ村  あなたのワン・クリックが私の元気の源です!よろしくお願いします。

医学部受験生に贈る!
未来の医師養成講座
愛知医科大学理事長三宅養三先生からご推薦をいただきました。


講師:吉田統彦(つねひこ)先生




東海高校を経て名古屋大学医学部、同大学院卒業。
米国ジョンズ・ホプキンス大学ウィルマー・アイ・インスティテュートにて勤務。
眼科医。医学博士。愛知医科大学医学部客員教授。昭和大学医学部客員教授。
名古屋大学医学部非常勤講師。名古屋医療センター非常勤医師。前衆議院議員。

講義内容/日米の医療の比較を通じて、現代日本の医療問題を、毎回テーマを変えながら鋭くえぐりだし、医師をめざす受験生の使命感を、インテリジェントにそしてパッショネートに鼓舞します。このコースはまた医学部入試の面接試験での発言能力や小論文の背景知識を涵養することにも力を注ぎます。

2015年全9回コース
(4月~12月につき毎月1回/すべて月曜日20:30~21:50)

クリック⇒吉田統彦先生の未来の医師養成講座
  1. 2015/03/02(月) 00:00:01|
  2. 安達雄大
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
前のページ 次のページ

プロフィール

PRETTY NAKANO

Author:PRETTY NAKANO
名古屋千種駅前の医学部&名門難関大専門塾セント・メプレス学長。元大学受験ラジオ講座講師。

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (241)
僕の受験生時代 (0)
プロフィール (2)
勉強法 (12)
愛しき日々 (24)
檄 (1238)
雑感 (83)
名言シリーズ (12)
メプレス (24)
英語 (28)
愛知医科大 (35)
東京女子医大 (12)
東京工業大学 (1)
ロシナンテス (1)
日本医科大学 (1)
吉田つねひこ先生 (45)
山本兼一 (5)
名古屋大学医学部 (56)
燕燕 (1)
岩手医科大学 (5)
金沢医科大学 (9)
東京大学 (1)
三宅養三先生 (0)
名古屋大学理学部 (28)
青山学院大学 (10)
歯学部 (2)
パイロット (2)
保護者の声 (2)
名大岐阜大共同研究 (1)
立命館大学 (1)
かつての教え子たちへ (1)
五稜郭高田 (25)
安達雄大 (16)
吉野由宏 (15)
石原泉 (0)
安田賢治 (7)
兼瀬あらわの藤保医学部物語1 (0)
藤田保健衛生大学 (12)
プリティ語録 (3)
英語問題集・参考書の間違い (3)
日本史吉川 (4)
泉初実 (3)
国政直記 (7)
東京理科大学 (1)
名古屋市立大学医学部 (1)
川崎医科大学 (1)
帝京大学医学部 (1)
同志社大学 (1)
入試説明会 (8)
医療立国 (14)
合宿 (15)
保護者会 (2)
酒井健ちゃん (1)
メディカルツーリズム (10)
埼玉医科大学 (1)
ドクター花城 (3)
不正入試 (25)
北里大学 (1)
武田塾 (12)
藤田医科大学元准教授 (1)
ヨーロッパの医学部 (2)
前野芳正先生 (12)
提言 (62)
僕の日常 (3)
医学部入試 (4)
医歯薬進学研究会 (1)
医学部生援護会 (1)
歯学部生援護会 (1)
受験生応援グルメ (4)
医歯薬文理進学研究会 (2)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR