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プリティ中野の一問入魂

元大学受験ラジオ講座講師プリティ中野が医学部・難関大受験生に贈るエール

『吉田つねひこの医気軒昂~医学部を志す若者へ』日本の医学と医療の年表 :その4 後藤新平、官僚 独逸留学そして政治家への道


『吉田つねひこの医気軒昂~医学部を志す若者へ』
日本の医学と医療の年表
:その4 後藤新平、官僚 独逸留学そして政治家への道

官僚として勤務し、
明治20年(1887年)普通生理衛生学、
同21年(1888)職業衛生法(私立衛生会雑誌)、
同22年(1889年)国家衛生原理を著した後藤は
同23年(1890年)郷里からの国会議員立候補の勧誘に対し謝絶の書簡を発送し、
実際の欧米の先進地を自身の眼で見る事が今後のためになると考え、
在官中に自費でドイツ留学をしました。時に後藤は33歳でした。

留学の目的地の一つは
炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者そしてツベルクリンの開発者であり
ルイ・パスツール(Louis Pasteur)と並んで近代細菌学の開祖とされる
ロベルト・コッホ(Robert Koch)の研究所でした。

そこでは明治18年(1885年)から同25年(1892年)まで
北里柴三郎がコッホの助手として働いており、
後藤がドイツに渡った明治23年(1890年)には血清療法をジフテリアに応用し、
ベーリングと共著で「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」という論文を発表し、
第1回ノーベル生理学・医学賞の候補に挙がりましたが、
結果は共同研究者のベーリングのみが受賞しています。

同年9月19日後藤は
衛生制度論を発行、
翌年には万国衛生及び民勢会議に日本代表として出席、
翌翌年1月21日ミュンヘン大学のドクトル試験に合格、
正六位に叙せられ、
4月21日からローマにおける万国赤十字会議に出席し、
5月2日にマルセーユより帰朝の途に就き、
6月10日横浜に帰朝しています。

同年11月17日長與專齋の推薦で内務省衛生局長に就任し、
翌明治26年(1893年)には長男一蔵も誕生し、
順調に見えた後藤の官僚としてのキャリアは同年に相馬事件に連座し
11月16日入獄し暗転します。

5ヶ月間にわたって収監され最終的には無罪となりましたが、
衛生局長を非職となり失脚し、
長與專齋にも見捨てられました。

そんな失意の後藤を再起させたのが
前稿でご紹介した当時陸軍省医務局長兼大本営野戦衛生長官の任にあった石黒忠悳でした。

石黒からの陸軍次官兼軍務局長児玉源太郎への推薦により
後藤は官界に復帰し、
明治31年(1898年)その行政手腕を評価した児玉が台湾総督となる際に
後藤を自身の補佐役である台湾総督府民政局長(後の民政長官)に抜擢します。

時に42歳の後藤は徹底した調査事業に立脚した経済改革とインフラ建設を強引に進めます。

この時に言ったとされるのが
「ヒラメの目をタイの目にすることは出来ない」であり、
それは社会の習慣や制度は、
生物と同様で相応の理由と必要性から発生したものであり、
無理に変更すれば当然大きな反発を招く。

よって現地を知悉し状況に合わせた施政をおこなっていくべきである、
というものであり、
約半世紀かけて台湾から阿片を根絶した阿片漸禁策
(阿片に高率の税をかけて購入しにくくさせると同時に、
吸引を免許制として次第に常習者を減らしていく方法)にも通じるものです。

その後明治36年(1903年)47歳で貴族院議員に勅選され、
明治39年(1906年)南満洲鉄道初代総裁に就任そして大連を拠点に満洲経営に活躍し、
明治41年(1908年)52歳となった後藤は
7月13日桂首相に対し満鉄を逓信省管轄とする等の条件の下で逓信大臣就任を承諾し、
翌14日入閣し満鉄総裁を免ぜられます。

その政策は発想の突飛さに対して
大風呂敷(後藤新平のことを書いた小説に
<杉森久英の大風呂敷―傑出のアイデアマン元東京市長後藤新平の生涯>があります)
とも評されましたが、
前述のように必ず緻密な調査統計と衛生行政思想に立脚したインフラ整備とに裏付られていました。

今日において科学的政治家と称される所以です。

次稿では後藤の政治家としての足跡と晩年を考察して参りたいと思います。


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プリティ中野




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吉田統彦(つねひこ)先生プロフィール

東海高校を経て名古屋大学医学部、同大学院卒業。
米国ジョンズ・ホプキンス大学ウィルマー・アイ・インスティテュートにて勤務。
眼科医。医学博士。愛知医科大学医学部客員教授。
昭和大学医学部客員教授。名古屋大学医学部非常勤講師。
愛知学院大学歯学部眼科学教授。名古屋医療センター非常勤医師。
元衆議院議員。次回衆院選愛知第1区立候補予定者

  1. 2017/04/26(水) 00:00:01|
  2. 吉田つねひこ先生
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名古屋千種駅前の医学部&名門難関大専門塾セント・メプレス学長。元大学受験ラジオ講座講師。

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